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『自分のための人生』感想

前回感想を書いた渡部昇一氏の本を続けてもう一冊読みましたので感想を書きたいと思います。ウェイン・W・ダイアー氏の著作を渡部氏が訳した書籍となります。

 

正直、私にとっては響く言葉がありすぎて書ききれないほど、ものすごく感銘を受けた一冊でした(いい言葉だなとか、後で読み返したいなと思った箇所に付箋をはっていったら、バッサバサになりました…)。袋小路でうだうだ悩んで丸くなっていたところにパアッと明るい光を当ててもらったような感覚です。正統派自己啓発本、なんて感想を書いている方もいらっしゃいますが、まさにその通りかと思います。偏った感覚や考え方、宗教観に基づくものではなく、且つ分かりやすく丁寧にいろんなことを教えてくれます。

 

例えば、感情の浮き沈みが激しい私にはこの言葉が胸に響きました。

「人間の感情はただふっと湧いて出るものではない。感情はものごとへの一つの反応としてみずから選び取るものである。~中略~『感情は自分の力ではどうすることもできない』という神話は、論理的に破綻している。」

「大前提・・私は自分の思考をコントロールすることができる。

 小前提・・私の感情は私の思考から生まれる。

 結論・・私は自分の感情をコントロールすることができる。」

「まわりの人間やものが自分を不幸にするのではない。自分で自分を不幸にするのだ。」

「世の中のものごと全体の中では、あなたが何をしようと、あなたが腹を立てようが立てまいが、そんなことはナイアガラの滝にグラス一杯の水を投げ込んだ程度の影響しかないのだ。あなたが笑いを選ぼうと怒りを選ぼうとそんなたいしたことではない。ただ、笑いを選べば現在が楽しくなり、怒りを選べば現在がみじめなひとときになるということを別にすれば。」

 

また、いい大人になった私は自分の能力の無さ(例えば特殊能力がなく、会社を解雇されたら生きていけない状況)に辟易していました。そんな私に勇気を与えてくれたのはこんな言葉でした。

「人は自分の望むとおりに頭をよくすることができる。才能は資質よりも、どれだけ時間をかけるかに負うところが大きい。」

「適正とは、学習すべき課題を習得するのに要した時間の総和である。この公式的記述が暗に示しているのは、十分な時間が与えられれば、どんな生徒でも課題を習得できるという仮説である。十分に時間をかけ、かつ努力をすれば、決心次第でほとんどどんな学問上の技術も習得できるだろう。」

「私は数学に弱い、文章がヘタ、語学が苦手である。この『私は…である」は、自分が今後変わっていくのに必要な努力は払わないということの保証となる。~中略~自分には才能がないというレッテルを貼っているかぎり、それに取り組まずにいる理由になる。」

 

今、自分が行くべき道や夢や目標がなくて、今後どんな風に生きていこうか迷っている人、自分の感情をコントロールして幸せになりたい人、なんとなく今の自分を変えたいと思っているすべての人に読んでほしいなと思う本でした。

恐らく私もことあるごとに読み返すに違いないですし、そういった意味で愛読書になりそうな気がしています。いつかこの本がいらなくなるくらい、自分の人生を自分で選び取り、成長することに喜びを感じるようになれるといいな!と強く感じました。

 

自分のための人生 (知的生きかた文庫)

自分のための人生 (知的生きかた文庫)